あしながおじさん、翻訳本いろいろ2007/11/04

数日ぶりの更新となってしまいました。ううぅ。

さて、先日に続いて、またまた「あしながおじさん」の話題です。

主人公ジュディは孤児院育ちという背景を抱えながらも「小さな幸せをたくさん積み上げていきたい」といつも明るく前向きだ。

その雰囲気はこの小説全編に流れているが、特にそんなジュディの性質を一行でズバッと言い表した、私の大好きな部分がある。

大学に入りたての10月10日の手紙である。
この中でジュディはさらに水曜日、金曜日、土曜日の朝、日曜日、と書き足してゆく。
この手紙は少々暗い雰囲気で始まる。
普通の家庭で育った同級生たちがごく当たり前に知っているようなことが、自分にはわからない、と。
たとえば「青い鳥」の作者メーテルリンクのことが話題に上ったときに「その方一年生?」と聞いてしまった、という失敗談をジュディはおじさんに打ち明ける。

そして、とても愉快なサリーとツンとしているジュリアという友人のこと、学科のこと、名前をジュディに変えたこと…と話題は移っていく。
さらに、孤児院のことを友人に知られていて、つらかったという高校時代の話。
ひきょうだけど大学では孤児院のことは誰にも知られたくない、とおじさんに悩みを告げる。
そんな陰鬱なトーンを吹き飛ばす、金曜日のラスト、締めの一文が、私が「これぞまさにジュディ!」と思う部分だ。

 > Anyway, Sallie McBride likes me!
   (原文より)

直訳すれば「とにかくサリーマクブライドは私が好きです!」
ジュディ本人がどこまで意識してのことなのかは不明としても、彼女は決しておじさんを暗い気分にさせたまま手紙を終わらせたりはしない。
かといって「今はもう大丈夫ですから心配しないでくださいね」といったような、ありきたりな言い方もしない。
「とにかくサリーマクブライドは…」というすこぶる愉快なニュースを、唐突にポーンと一文書き加えて、ガラッと明るい終わり方にしているところが本当にジュディらしく、この小説で私が特に好きな部分だ。

さて、自称「あしながおじさんフェチ」(?)の私の手元に、今四種類の翻訳本がある。
それぞれのこの一文の翻訳は、以下の通りとなっている。

 >とにかくサリー・マクブライドは私を好きなんですのよ!
  (新潮文庫 松本恵子訳 昭和29年)

 >とにかく、サリーはあたしが大好きなんです!
  (岩波文庫 遠藤寿子訳 1933年<昭和8年>)

 >とにかく、サリー・マクブライドはわたしをすいてくれます。
  (フォア文庫 谷川俊太郎訳 1988年<昭和63年>)

 >とにかく、サリーは、わたしがすきなのです。
  (講談社刊 三井ふたばこ訳 昭和43年)

私が特に惹かれ、この部分に一番合うと思うのが、最後の三井ふたばこ訳である。
先日の記事でも書いたが、この翻訳が私が初めてこの小説に触れたものだった、というせいでもあるかもしれない。
タイミング的に先のものから、するりとインプットされがちだから。
しかし、そのことを抜きにしたとしても、ジュディらしさを、一番リズムよくスパッと言い表しているのが、三井訳のように思う。
原文ではたしかに、「Sallie McBride」とフルネームで、「!」もついているが、ここでは、極力短くシンプルに言い切る表現が適しているように思うのだ。

**それにしても、私はかなり古いバージョンの訳しか持っていない。
近年、いい新訳は出ているのだろうか。
どなたか何か情報などお持ちでしたら、どうぞ教えてくださいませ。ペコリ。

さて、この四種類の翻訳の全体的な印象としては――。

松本恵子訳は、時代のせいもあるだろうがかなり硬い感じである。
「~でございます」「~しておりますかしら?」という調子である。
しかし一方、キッチリと丁寧な構築がなされた中で、かえってジュディのユーモアが印象的に響いているような気もする。

遠藤寿子訳はさらに年代が古いが、こちらのほうが少々やわらかい感じ。
基本的に「ですます調」だが、ところどころ「~なのよ」などのくだけた表現を混ぜている。

谷川俊太郎訳も、遠藤訳に似ているが、さらにやわらかく、もう一歩くだけさせた雰囲気。

そして三井訳は、硬すぎずやわらかすぎず、なおかつジュディに上品さがあるところがとても好きだ。
程よくくだけたユーモアの感じと上品さとが、いい具合に混ざり合っていると思うのだ。
ただ、子供向けのシリーズな為だろうか、数本の手紙がはしょられ、完訳でないのがとても残念だ。

たぶんもうほとんど手に入らないであろうこのバージョン、私にとってはやはりずっと手放せない一冊のようだ。


**関連記事 →  永遠の愛読書~あしながおじさん(10/22)


**紹介訳本(アマゾン)
あしながおじさん (新潮文庫)
ジーン ウェブスター Jean Webster 松本 恵子
4102082018

あしながおじさん (1971年) (岩波文庫)
遠藤 寿子
B000J949AO

ひさびさ大ヒット!~「映画篇」(金城一紀著)2007/10/26

ここ最近読んだ本の中ではダントツのすばらしい小説であった。
最後のクライマックスに至っては、ひどく号泣してしまった。
「なんとなく評判よさそうな本だし……」という軽い気持ちで手に取った「映画篇」(金城一紀著)である。



映画をモチーフに綴られる、それぞれが独立した短編集のような構成。
しかし、それら別個の物語たちがごく僅かな接点を持ちながら、最後に区民会館での「ローマの休日」の上映会に終結していく。
その全体のつくりも見事と言うばかりで、強烈に引き込まれた。

読み進めていくと、それぞれ傷を抱えた登場人物たちが、切なく不器用に、そしてがむしゃらに他者とのかかわりを求めていくような物語が次々とあらわれる。
その一つ一つの人間同士の接触の重みや、リアリティをもって迫ってくる彼らの感情の描かれ方も、本当にすばらしい。

そして、最後に少々重苦しいトーンを吹き飛ばすかのように登場する哲也クンと鳥越家のユニークな面々。
この上なく魅力的な鳥越家のおばあちゃん。その孫である哲也クンの大活躍。
そしていとこたちのそれぞれの関わり合いぶりがまた読み応え充分。
彼らのあふれるパワーのもたらすラストシーンに、ぐわんぐわんと心を揺さぶられてしまった。

自分は果たしてこんなに素敵な人間関係を築けているのだろうか、という胸苦しいまでの動揺と、一方でこの物語の世界をむさぼるように楽しんでる自分とが、めまぐるしく入れ替わり立ち代りした。
ひさしぶりに全身を何か大きな力で包まれるようなスゴイ読書経験をした、と思える。

永遠の愛読書~あしながおじさん2007/10/22

古い~けど、大切な本。あしながおじさん
近頃、本を読む時間が減ってしまった。
疲れていて、新しい本を読むエネルギーが出ないこともある。
そんな時に昔からなじみのある愛読書を、ごそごそと引っ張り出して読み返したりする。
ストーリーが全部わかっているのに、それでも何度でも読みたい本が何冊かあるのだ。

私にとって、そんな‘永遠の愛読書’のうちの一冊が、ジーン・ウェブスター(米国)の「あしながおじさん」である。

子供の頃、家に「世界の名作図書館 全52巻(講談社刊)」というシリーズがあった。
決して裕福とはいえない私の家だったが、何故かこの膨大なシリーズを買ってもらえ、とてもうれしかった記憶がある。
私の読書体験のスタート、とも言えそうな懐かしいものである。

そんな大切なシリーズだったが、現在手元に置いているのはこの「26巻 あしながおじさん」一冊のみとなってしまった。
(「無人島の小ロビンソンたち」「ゆかいなピーターキン一家」も収録)
奥付を見ると「昭和43年6月4日第1刷、昭和49年1月9日 第9刷発行」となっており、かなり古い。
かかっていたカバーは失われ、各ページもかなり黄色くなり汚れてもいるが、ページが落ちたりする事もなく、本の体裁をきちんと保ったまま残っている。
その後何冊か、他の翻訳者による「あしながおじさん」も手にすることになるが、私が初めてこの魅力的な小説に触れたのが、この講談社刊のものだった。

さて、物語は……
ジョングリア孤児院に育った女の子ジェルーシャの、非凡な想像力にあふれる作文が、孤児院評議員のジョン・スミス氏(仮名)の目に留まる。
スミス氏はジェルーシャを将来作家にしたいと考え、大学へ行かせることにする。
その条件は、月に一度学校生活のことを手紙に書き送ることだけ。
このジェルーシャ(のちにジュディというニックネームとなる)から「あしながおじさん」ことスミス氏に送られる手紙で構成された物語である。……

この本を初めて読んだのが何歳くらいの時だったかもうよく覚えていない。
最初の頃は、所々でてくる、ジュディの歯に衣を着せないモノ言いにドキドキした記憶がある。

「ジョン・スミスとよんでもらいたい、なんていうかたにそんなにうやうやしくできるものでしょうか。なぜあなたは、もう少し気のきいた名まえをおえらびになれませんでしたの?」(9月24日はじめての手紙)

「(おじさんの風貌を想像しながら)そして、まゆ毛は玄関の屋根みたいに前へつき出ていて、口は真一文字で、両はしがすこしさがりぎみ。ほらね、ちゃんと知っているでしょう。おじさんは、かんしゃく持ちのがんこじいさんなんだわ」(12月19日の手紙)
   (* 講談社刊 三井ふたばこ訳 より引用)
などなどと。

しかしそこにはジュディのおじさんに対する親しみの気持ちがあり、ユーモアがある。
そして、おじさんに対し壁を隔てることなく接しようとする、ジュディの懐の深さも感じられるのだった。
ただひたすら‘かしこばった’手紙をもらうよりもおじさんも嬉しいだろうし、手紙を心待ちにすることだろうなぁ、と思うようになった。

その後もいろいろな折々にこの本を読み、ジュディの明るく、さわやかな上品さもあるユーモア感覚に親しんできた。
この小説が大好きになり、大学の寮生活というものにもひどく憧れてしまった。

これは児童書だろうか。
確かに子供が読んでもわかりやすくおもしろい。
しかし、大人が読んでも十分に楽しめる永遠の名作といえると思う。


(**以下、ネタバレ要素あります。これからこの本を初めて読まれる方ご留意ください)



そして、繰り返し読むことで、また新しいおもしろさを味わえる。
この本は恋愛小説でもあるのだ。
あしながおじさんは決して返事を書かない。
しかし、ジュディが友人サリーの兄のジミーマックブライドに接近する事を、必死に阻止しようとするおじさんの行動が、手に取るようにわかってくる。
ジミーマックブライドと楽しく過ごした話が出てくるジュディの手紙の直後、すぐに会いに行ったりするところなど、かわいらしい。
また、夏休みにマックブライド家に招待されたジュディに闇雲に反対し、おじさんと縁のあるロックウィローに行け、との一点張りだったり、と。
その訳がわからずおじさんに対して不満を持ってしまうジュディなのだが、二度目以降の読者にとってはほほえましいエピソードにもなってくる。
それらのエピソードが、思いがけないエンディングへと終結していき、最後はジュディも読者も一緒にホカホカの幸せ気分になれる。

物語の最後近くの、ジュディが自分の恋愛について相談する手紙。(10月3日 ロックウィローにて)
あしながおじさんは特別な方だが、ある男性にもっと特別な気持ちを持っている、とジュディは告白する。この部分に、この手紙の受取り手は、緊張で固まってしまったのではないだろうか。
そして、「おじさんはその人が誰かわけなくお分かりになったでしょう」とさらに緊張を煽り立てる。(ジュディは全くそんなつもりはないのだが)
「私の手紙には随分長い間ジャービー坊ちゃんの事ばかり書いてあったような気がしますから」とようやく恋の対象者の名前が出てくる。
これを読んだ時、おそらく狂喜乱舞したくなったであろう「あしながおじさん」を想像すると、またこちらまでハッピーになってしまう。

そして、まさにこれ以上はない程の幸福感あふれる、ジュディの最後の素晴らしい手紙をもってこの小説は終わる。

「これからわたしは、ただの一秒だって、あなたにつまらない思いなんかさせませんわ」
(三井ふたばこ 訳 より引用)
こんな溌剌として思いやりにあふれた愛の宣言の言葉は、まさにジュディならではだろう。

私にとって、これからも何度も読み返して元気をもらいたいと思う、大切な本なのである。

**関連記事 → あしながおじさん、翻訳本いろいろ(11/4)